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11月, 2020の投稿を表示しています

さようなら硬膜外麻酔(知られざると思っているのは私だけ?術後3日目の筋肉痛)

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夜中、凄まじい痛みに襲われたにもかかわらず、術後3日目の目覚めは割と爽やか。もちろん硬膜外麻酔の恩恵200%で醸し出される爽やかさなので気は抜けないけど、この背中に針金みたいなやつを通して痛みを止めてくれるシステムは、一体いつからあるのだろう。その昔は点滴が役目を担っていたのかしら・・・などと思いを巡らせてみた硬膜外麻酔は、本日午後から抜かれます。 まだまだしょっぱい・・ 声は未だにカスカス。のどに痰が絡んでいるようないないような・・乾燥しているようなしていないような・・いつも咳払いしたい微妙な感じでそこにある。本来であれば、思い切って咳払いでも何でもできるはずなのに、やはりそこは新型コロナ。「んっ・・んっ・・」と見知らぬ誰かに配慮した可愛らしい咳払いしかできずにいる。「げへぇっっ!」と気合の入った咳き込みでのどのイガイガしたものを取り除くことができなくて。一生懸命に水で何とかしようとしてました。 この日もまたリハビリを兼ねたお買い物へ。一般外来お休みの曜日なので、ボサボサの髪も気にせずに向かえる。入院患者になるとパジャマにノーブラでも平気でうろちょろできる鋼のココロになれることを知る。自分の生活圏内にある病院だし、そこまで大都市でもないので、ここでビミョーな距離感の知り合いに合ったら一発アウトなのに。それでもマスクしてるからわかるまいと、完璧に世間を舐めてかかった状態で、まだ生々しいお腹の傷をかばいながら売店へジワジワと進む。 嬉し恥ずかしなパジャマ姿で買い物をする私の目的はただひとつ。2Lの水を買い、ひたすら身体に染み渡らせる事。麻酔から覚めた直後から、腸はグルグルと音を立てガスもしっかり放出した。ちゃんと動いているはずだけど、まだ排便までには至っていない。婦人科系での手術後は特に便秘で悩みやすいとGoogleで確認してしまったので、私も便秘の渦に引きずり込まれてしまうのではなかろうかと、この時ビビりまくっていた。一日1本の乳酸菌シロタ株だけではどうにもならなさそう。塩辛い部分はともかくとして、日々の献立については計算されつくしている料理を食べているのだから、この状態を1週間程度続けて何のお達しもなかったら私の腸はどうすればよいものか・・。飲むヨーグルトも買って来ればよかった。硬膜外麻酔が抜けるお祝いに♡と、浮かれながらクッキーとコーヒーを買い込んでる場合じゃな

潰されていた膀胱の復活(開腹手術後2日目)

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基本設定の牛乳(朝ごはん)を ジョアに変更しておいてよかった そう心底思った 術後から数えて2日目の朝 自覚はなかったけど、朝の熱は38度台。術後にありがちなのか、特に反応されることなく終わる検温。血圧は正常値の範囲。 ジョアさまさま イチゴ味のジョアはこの日だけ。あとはずっとマスカット味のジョアばかり。マスカット味のジョアだと鉄分補給と葉酸補給をできるから、マスカット味のジョアを添えられるのがきっと正しい私の身体。ジョアで鉄分求める事はしなくてもいいんですけど・・と思った身勝手な考え。骨密度の事も考えなければいけない50代はイチゴ味のジョアも必要かと思われますが。 まだこの時点では、てんこ盛りにされた白米をメソメソしながら頂く事しかできず「味噌汁の中に白米をぶち込んで食べれば消費しやすいぞ」というナイスなアイデアは浮かんできていなかった。作ってもらってる立場なのに申し訳なかったけど「朝はパンとコーヒーがいいのになー・・・」と、てんこ盛りの白米を見つめながら自分勝手な考えで頭がいっぱいになっていた。 作ってもらっているのにグダグダ言って申し訳ないと思う気持ちがすっ飛ぶほどのしょっぱさ満載のオカズがまた目の前に。納豆でいい・・朝ごはんの献立はひねらなくていい・・焼き海苔でいい・・そう思いながらごちそうさました瞬間、除霊するかのごとくお茶一杯とジョアを一気飲みする。朝ごはんだけでもジョアがある幸せ。ジョアに変更していて本当によかった。 手術しても結構すぐ動けるもんだなーと思ってみたり、ご飯食べるのがこんなに大変な作業だったなんてーと思ってみたり、ぐちゃぐちゃしていた術後2日目の始まり。お箸持つにも体力と腹筋が必要なんだという事をこの手術で学ぶ。 インフルエンザで寝込んだ辛さなんか下の下。身体の真ん中で全身を支えている腹筋が使えない事、(麻酔して痛みを感じない状態で手術したとはいえ)それに身体を切られる&臓器を摘出されるという行為。3時間程度の手術であっても、その体力気力の消耗具合は恐ろしいものがある。必死で食べてバタンとベッドに倒れこんだ朝。そして朝からスポンと抜かれるもんだと思っていた尿管は午後からの作業に組み込まれていました。残念。 個人的にふたをオープンできないオカズ登場 さあ、回復に向けてがんばるぜ!と思う心に鞭打つごはん。何もせずに、上げ膳据え膳で食事ができる

全身麻酔の合併症「術後せん妄」に慌てる(今更)

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最近ふと思った。以前のブログを手直ししながら、ふと思った。退院直後に書き綴っていたブログは、今よりも格段「手術フィーバー」みたいな熱気がムンムンしていて、何だか冷静ではない。麻酔覚めて気持ち悪くなかったー!わーい!と思った記憶は確実としても、術後せん妄の部分に関しては、本当になかったと言えるのか? 「私ありました?術後せん妄」と看護師さんに確かめずに退院した事に最近気づいて、俄然モヤモヤしています・・。 「最悪死にます♡」の説明を麻酔科の先生から聞いた時、術後せん妄の話ももちろん出た。麻酔の主たる合併症のひとつに「術後せん妄(65歳以上で発生頻度約20%)とあるけど、keme.さんそこまで年じゃないから♪」と、医者も患者もヘラヘラしながらすっ飛ばしたその項目。異常な行動と不可解な言動がみられるといっていた。その異常な行動と不可解な言動は、本人も覚えていないと聞かされた。 自分の記憶では「今何時ですか?」が目覚めの第一声だと思っていたけれど、それはもしかすると勘違いなのかもしれない。毎度のごはん以外は(ほぼ)快適に過ごすことができた私の9日間の入院生活。自分の記憶がないだけで、とんでもない行動や罵詈雑言で病棟を震撼させたかもしれない可能性があるかもしれない。看護師たちは、私に優しいほほえみとナイチンゲールの精神で昼夜を問わず対応していてくれていたけど、ナースステーションでは「あの人の術後せん妄、史上最大級だったよねー 笑」と、事あるごとにネタにされているかもしれない。もしかしたら今この瞬間も・・・。 ふと思い出した術後せん妄の事で、お腹の中がカーッと熱くなる感じと、脳みそがゾワゾワする感じが交錯しながら体中を駆け巡っています・・・。 本当は、全身麻酔の手術なんてやりたくなかった。入院する事はお泊り会みたいな気分で少しワクワクしていたんだけれど。「局所麻酔でもいけなくないですかね?」と提案してみようかと思うくらい嫌だった全身麻酔。冗談に聞こえるかもしれないけど、そこそこの痛みでおさまるんなら、局所麻酔で我慢できる・・・というかする。「局所麻酔でもいけなくないですかね?」と喉元ギリギリまで出ていた言葉。それくらい全身麻酔にはビビり散らかしていた。子宮も卵巣もスパッと取る!とは大きな声で言えたのに。 挿管されたチューブを抜かれる時に「おえぇぇぇぇ」となるとか、目が覚めた後に

リニューアルした身体の始まりは濃厚塩味(開腹手術翌日)

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2020年4月の晴れた朝 切って開いて縫い合わせて あったものを取り除いて 健全な身体(仮)にリニューアル 【手術時間】 3時間(ほんとは2時間の予定) 【術式】 開腹による腹式子宮全摘術 【摘出物】 子宮筋腫・子宮・卵巣・卵管 【傷の長さ】 約15㎝(おへその横経由して一直線に縦切り) 【予期せぬ出来事】 膀胱のひどい癒着 貧血の原因だった子宮筋腫がなくなった。子宮も卵巣もなくなった。生殖器としての役割を果たすことなく取り去られた私の子宮と卵巣は、私がこの先いい調子&健康な身体でいられるようにと、自らを犠牲にして旅立ってくれた。術後で身体やら傷やらが痛んでなければ、身体の中から臓器や腫瘍がなくなっただなんて思えないくらい。 一番大きな子宮筋腫が膀胱を思いっきり圧迫(膀胱の上にドンと乗っかっていたらしい)していたらしく、なおかつ癒着がとんでもなく酷かったので、泌尿器科の先生が急遽呼び出しを食らう羽目になったと告げられた。「膀胱内視鏡も使ったのよ」と自慢げに言われてしまったけど、全身麻酔だったから知らないし。 もしかしたら泌尿器科の先生のおやつの時間は潰してしまったかも・・そこはちょっと気になってます。カップラーメンを作っていた最中だったらゴメンナサイ。 熱は余裕の38度。風邪やインフルエンザの類の熱ではないので、だるいとか辛いとかのキツさは感じない。切ったお腹や、強張った全身の痛みは十分すぎるくらい感じるけれど、無事に手術が終わって嬉しい気持ちが勝っていたので、気分的には少し爽快。だけどまだ身体のあちこちから線だの管だのがピヨーンと出ていて、どう動いていいのかわからない。視覚的にフリーズさせられているとでも言いましょうか。 それでも手術前の説明で「手術の翌日、自分で動けてトイレまで歩けるようならオシッコの管取れますよー♪」とか「術後の食事を半分以上食べる事が出来たら点滴すぐ外せますよー♪」の部分はしっかり記憶していたので、必死でベッドから起き上がってみた。いける。オシッコの管も点滴も外せると思う。自分的には、ベッドの縁に割と軽々座ることができたと思う。オシッコの管って、ものすごく気持ち悪い感触のするものだと思っていたけれど、挿管されている感じが全くない。 オシッコの管すごいわねーと感心していたら先生が来て「あら、起き上がれましたね。でもkeme.さん、オシッコの管は

手術。いよいよ人生最大のビッグイベントのおでまし。

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  6:00起床 寝不足だけど「本日手術」の身の上なのであまり気にならず。子宮体がん検査の結果は異常なしだったので、これで本当に子宮筋腫を撲滅する事だけに集中できる。良かった。そしてどうか麻酔から目が覚めた時に気持ち悪くなる事だけは避けられますように。覚醒した瞬間、ゲロゲロになるのだけはさけたいわーと願いながら、手術当日をスタートさせた。 ポカリスエット的な 医学、日進月歩。術前絶食であることは昔も今も変わりないですが、日本麻酔科学会の術前絶飲食ガイドラインによると「経口補水液などの清澄水は手術室に入る2時間前まで飲める」という事になったらしく、私が手術した病院では、高炭水化物補給食(栄養機能補助食品)なる飲み物を用意してくれていました。長時間の絶食は術後の回復によくない影響を与えるのでそれを防ぐために飲むんです・・・と、渡されたかな。たしか。 主に病院や介護施設などで使用されているみたいだけど、医療や介護専用品というわけではないらしく、一般家庭でも手に入る代物。家で寝込んで食事が思うように取れなくなった時とか、介護補助にもよさそう。初めて口にする飲み物。手術当日でなかったら「アルジネードウォーターなんぞや・・」みたいな事をすかさずGoogle使って始めるのだろうけど、普段通りに気持ちも身体も動かない。用意されたネスレのアルジネードウォーターを眺めながらベッドの上でじっとする。お隣のじゃがりこ彼女もまだ静か。(じゃがりこ彼女の件はひとつ前の記事でどうぞ) 味が合わなかったり口当たりが悪かったりと人それぞれですので、無理しないようにゆっくり飲んで大丈夫ですよ。「6:00~10:00の間に飲み終わってくれればいいですからね」と、アルジネードウォーター4個(計500㎖)を前日に渡されていたけど、ラムネ早飲み競争のごとくグビグビ飲んだ。味も口当たりも問題なかったし、おまけに暇だったから一気飲みした。そしたらする事がなくなった。 TVをつけて気を紛らわす余裕もなく。かといって、フラフラと廊下を散歩する気にもなれない。カーテンで仕切られた空間の中でじーっと座ってみる。不安が沸々とこみ上げてくるでもなし、やっぱり手術やだー!!!と叫びたい気持ちも出てこない。なんか恐ろしくシーンとした、妙な時間を過ごした感覚だけ残っている。 そして眠剤同様、これまた無理言って手に入れた酸化マグネシ

手術する前に少しだけおさらいをしておこう(そして思う事も少し)

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2019年10月から2020年3月 現状確認のために行っただけの健康診断で発見された子宮筋腫。鉄剤でヘモグロビン値を押し上げる事を決意し、胃カメラ検査と大腸カメラ検査をアミューズメントパークのアトラクションのごとくエンジョイし、ヘリコバクター・ピロリ菌の沼に放り込まれ・・・と、予想していない事がちょいちょい起こった私の身体。 2020年4月 憂う本丸、子宮筋腫摘出手術の記念すべき日が訪れた。閉経まで逃げ切る方法は、性格的にも現実的にも私にはそぐわなかったので取ることにしました。全身麻酔には少しビビるけど、結果逃げ切れずに58歳くらいで手術・・・になる事だけは避けたいと思う気持ちが勝ったので。 【病状・病名】 多発性子宮筋腫(変性筋腫含む) 過多月経および貧血 【術式】 全身麻酔にて開腹手術 【診療行為】 子宮および卵巣・卵管全摘出 【入院期間】 9日間 上記の内容にて入院と手術。なぜだか過多月経にされていた。過多と感じた事はないと、ホットペッパービューティー先生にも執刀医先生にもお話したと思いますが・・。規則正しく美しく、暴れん坊でメーカーが自慢していたフィット感を台無しにして粗相した覚えはあっても、お洋服やおふとんを経血量で汚したことはない。周期乱れることなく品行方正だった私の生理が過多月経にされていた。ちょっとショック。事実と違う。カルテ、誰かと取り違えられているとかはないだろうか・・。 流れ流されたどり着いた子宮筋腫の世界。私の子宮筋腫は、それはとても静かに私に近寄ってきていた。子宮筋腫抱えてる人結構いますよー的な、ふわーっと世間話程度で語っても大丈夫な子宮筋腫ではない、変性筋腫と言い渡されるタイプのグレーゾーン的腫瘍ができてしまっていた私。摘出した筋腫を病理組織検査に回して顕微鏡で覗いてみてもらわないと良性か悪性かを判断できない身体になっていた。 このブログを今書いている私の腹腔内には、上記でつらつらと述べている子宮筋腫はおろか子宮も卵巣も卵管もない。おへその下にビーッと入った傷はまだほんの少しピンク色した部分が残ってはいるものの、周りの肌に馴染みながら着々と過去のものになっていっている。それでもまだ傷としての意識はしっかり残っているので、なんとなく手でかばっている日々は続いている。でも手術から数えて7か月。手術後の辛かった身体の具合は忘れている。 ブログ書

4人目の入院患者と消灯時間ギリギリの咀嚼音

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入院当日と4人部屋と割と放置な感じの時間と のつづき。 午後の放置プレイをまったり楽しんでいたら、手術を終えた4人目の患者がベッドで運ばれてきた。規定通り4人部屋は4人で使うのね。4人目さんは既に麻酔からしっかり覚醒して、看護師さんたちに「〇〇さんおかえりー♪」とか「無事終わってよかったですねー!」だの言われながら、身の回りを整えられていた(のをカーテンの隙間から見ていた)。御年・・・70代?このお方も全身麻酔で闘ってきたのだろうか。 ベッドメイキング的な処置が終わったら、周りを取り囲んでいた看護師さん達は勿論退散。よかったですねーと、もてはやされていた時間はあっという間に終わってしまう。静かな空間に戻っちゃった・・と思っていたら、水が飲みたいとか、お腹が空いたとか、念仏のように唱えだした70代?のマダム。だけどナースコールは押さない。そして誰もそばにいない。独り言のような念仏がだんだん叫び声に変わりだした。 ナースコール押せばいいのにー・・と思いながら聞いていたら、「あきこ(仮名)、あーきーこー(仮名)、あきちゃーん(仮名)・・・・・・・・・・・ ようこぉぉぉ (仮名)!!!」と叫んだ。「親が苦しんでるのに来やしない」「実の娘なのに優しくない」と名前の後に続けて心の叫びをぶちまけていた。 もしかして、これが麻酔科の先生が言っていた"術後せん妄"か?とビビった。思いもよらない、そしてものすごい事を言ってのけるらしい術後せん妄。果たしてあきこ(仮名)とようこ(仮名)は本当にマダムの娘達なんだろうか・・・。 で、この「あきこ(仮名)、あーきーこー(仮名)、あきちゃーん(仮名)・・・・・・ようこぉぉぉ(仮名)!!!」が私の笑いのツボにぴったりハマってしまったもんで、しばらく息を殺して悶絶。もしもこの術後せん妄かもしれないマダムの叫びが、ワタクシの開腹手術のあとに繰り広げられてしまっていたら、絶対に私の腹は再縫合しなければならなくなるところだった。よかったー、手術前日で。 たまたま通りかかった看護師さんを捕まえて、呼べども呼べども母親の枕元に姿を現さないメイン付き添いあきこ(仮名)とサブのようこ(仮名)の居場所を聞いていた。ふたりは先生から手術の結果説明を受けている真っ最中で席を外していることが判明。あきこ(仮名)もようこ(仮名)も実在してました。という

入院当日と4人部屋と割と放置な感じの時間と

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2020年4月 いよいよです 人生初の全身麻酔 人生初の開腹手術 生まれ持った子宮と卵巣を 取り除く日が来てしまう まさかそんな事になろうとは・・ (そうそう子宮体がんは異常なし) 昨日配車の手配をしていたタクシーが時間ぴったりに家の前へ。タクシーに乗り込むと同時に「窓開けてもいいですか?」と尋ねたら、「あ、暑かったですか?すみません」と返された。新型コロナです。このご時世なのでお互いの健康を思いあっての事です。窓を開けて換気しましょうとかいうエチケット。TVその他で見たり聞いたりしていませんか?朝の朝礼で言われませんでした? 家から病院へ続く道の途中にご先祖様が眠っているお墓があります。なので、心の中で「守ってくださいね」と気持ちを伝え、手を合わせて通り過ぎようと考えていたら、タクシーはお墓にたどり着く手前で頼んでもいない抜け道に入ってしまい、ご先祖様の眠る地を経由すること叶わず病院へ運ばれてしまった。タクシーの運転手は、私に抜け道知ってます自慢をしたかったみたい。こんなスタートでいいんだろうか・・手術なんですよ、明日。 麻酔科外来→婦人科外来→入院申し込み→入院病棟の順で進んだ入院当日。説明を一言一句逃す事の無いようにICレコーダーを持参した。ふふふ、孤独で挑む手術ですからね。録音させていただきますよ。 でも麻酔科の先生も婦人科の先生も、手術前日の患者に対する重厚感あふれるホスピタリティが感じられない。定期健診並みのいつもの空気感。そしてその「いつもの空気感」に飲み込まれちゃった私は、「会話録音してもいいですか?」という一言を言い忘れてしまう。 なので何の録音もできてません。 入院当日の付き添いがいるってことは、きっと術前の説明で「聞いた・聞いてない」「言った・言ってない」をなくすための事だと思って付き添い代替のICレコーダーを準備したのに・・・。新しい電池に入れ替えて準備し、どんな長時間の会話であっても一言一句もれなく録音しようとした私の思いを自分で無駄にした。 付き添い人がいないからこんな感じなのかなぁ・・TVドラマならこのシーン、結構重々しくやるところじゃないのかなぁ・・。手術前ってどのテレビ局でも別室で話すシーンだよねー、そこらへんにうじゃうじゃ看護師さんとか医療事務員さんとかいないよねー・・などと思いつつ話を聞く。ひとの話を真剣に聞く気のない体質なので

珍事。付き添い人がいなくなる。

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 2020年4月入院前日 入院当日と手術の付き添いを お願いしていた姉が 結構なぎっくり腰になり 付き添いができなくなったと 入院日直前に言ってきた やっぱりスムーズじゃない 私の子宮筋腫 病院から「体調変わりありませんか?発熱等気になる症状(新型コロナに関して)ありませんか?こんな状況下ですが頑張りましょうね。私達も全力でサポートしますからね!」と、確認の電話がかかってきた。こんな事をしてきてくれるだなんて予想もしてなかったので、知らない電話番号だったから2回無視した。代表番号経由でかけてきてくれればすぐ応答したのに・・。非公開のダイヤルインで電話してくるのはやめて頂きたい。病院に問い合わせする時は代表番号にかけて下さいってあなた方が言ったんですよ。代表番号しか登録してないし。ダイヤルインあるとか知らないし。 さあいよいよ手術だ入院だと腹をくくり始めていたら、他県に住む姉から「ぎっくり腰になった。しかもひどい」と連絡が来た。絶妙なタイミングでのぎっくり腰に愕然としたけど、新型コロナに感染した人が多発している地域に住んでいる姉を呼び寄せてはいけないという啓示だと思い、勝手に付き添いなしで手術に挑もうと決意した。 よし!ゲリラ入院だ 当日ひとりで行ってしまえばこっちのもんだと計画していたら、まさかの前日確認電話。「お変わりないですか?」と聞かれてしまったもんで、つい「付き添いがいない状態になりました。でも大丈夫です。心細いとは思いませんので付き添いなしで手術したいと思います」と伝えた。受話器の向こうの気配が変な感じになったのがよくわかった。 入院当日の付き添いは目をつぶれても、手術時の付き添いが確保できないとなると手術は中止か延期になりますけど・・と切り返された。「ひとりでも大丈夫ですよー♪(孤独には慣れてますしさみしがり屋でもありません)」と明るく言ってみたけど、付き添い人は私の心の隙間を埋める役目じゃなく、術中になんかあった時要員として必要みたいですね。 「付き添い人は必要です」と0.5秒で却下されました。 仕方ない。探す気毛頭ないけど「探してみます」と引き下がり一旦電話終了。病院も「とりあえず先生に相談してみますけどぉ・・・・・」と、ぐずぐずした感じだったけど柔軟な対応はちょっぴり見せてくれた。そして30分もしないうちに態度を一変させて電話してきてくれた。「先生

カウントダウンが始まる(入院まであと4日)

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2020年4月のある日 入院まであと4日 その時の気持ちをしたためてます とうとう数日後に入院&手術が迫ってきた。大きな子宮筋腫とイカ飯みたいになった子宮を取ればいいだけだった私の手術。子宮筋腫を取り除いたらハッピーになれるはずだったのに「もしかしたら稀な・・・」の変性筋腫があるとギリギリで告知され、もしかしたらグループに属するかもしれない可能性が浮上してきた。 おまけに子宮体がん検査結果はシロクロついてないし、卵巣取るとか取らないとかオプションメニューまで出現した。そして前代未聞の新型コロナという、全世界の歴史にきっと刻み込まれる衝撃の出来事の中で、入院と手術にチャレンジしなくちゃいけなくなるという人生初の全身麻酔手術。このなにか引き当てるパワー的なものは、買った事ないけど年末ジャンボに活かしてみたかった・・・。 様々なプレッシャーとストレスが入り乱れたおかげで、物事深く考えない私でもそこそこパンチを食らってしまったらしく、一昨日から右目の瞼がけいれんし続けている。今ちょっとしんどいです。瞼のぴくぴくがエンドレスで続くなどという恐ろしい事態。気持ち悪いったらありゃしない。 先週までは「退院してからの事」を比較的考えていた脳が、全身麻酔の後遺症とか合併症とか手術の失敗などをフューチャーしだした。私は子宮筋腫の摘出手術をするのであって、生存率30%的な疾患ではない。世の中、子宮筋腫や子宮全摘の手術は溢れている。そう、溢れていると言い聞かせたもんだから、そこから「もしかしたら研修医の練習台にされてしまうのではなかろうか」とか「軽々しく術中飲み会の話とかされながら腸に穴開けられるんじゃなかろうか」などという妄想を展開しまくってしまった。 入院まであと4日しかないのに・・・ 退院して元気いっぱいで帰ってくる気満々だったので、部屋の掃除はいつも通り。でも万が一・・・・もしかしたら・・・・の確率に備えて、何が起こってもいいようにアレとかコレとか捨て去っておくべきだったと気持ちがザワザワしてきたけど、あと4日ではどうにもできない。他にもしなくちゃいけないことが山ほど。それに可燃ごみの日で捨てられないものもある。 内緒にしているものがたくさんあるんです・・ 見られたくないものもたくさんあるんです・・ 術後、万が一やもしかしたらの何かが起こらなければ、今月末には家のベッドで「お腹に力

貧血は恐るべしだということ(改善してよかったとしみじみ)

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沢井製薬のクエン酸第一鉄Na錠50mg「サワイ」でムクムクと貧血が改善した私のヘモグロビン数値の経過は以下のとおり。 2019年10月/7.6 g/dL 2019年11月/7.3 g/dL(​​鉄剤服用開始) 2020年1月/13.8 g/dL 2020年2月/14.4 g/dL 鉄剤を処方されたのは2020年2月が最後。3月の診察の時は「もう飲まなくてもいいでしょう」と手術前の1か月間は鉄剤なしで過ごした。てっきり手術まで飲むものだと思っていたけど違ったんですよ。 もう感謝しかないサワイのやつ 貧血と言い渡される前、私は自分が貧血であることを知らなかったし、もしかしたら貧血?とも思っていませんでした。貧血という存在を知らなかったわけじゃないですよ。貧血がもたらす身体の諸症状を全く知らなかったわけでもないですよ。でも自分が貧血になるような食生活や体質ではないと絶対的自信があったので、ん?という症状が出ていても別の理由でそうなっているのだと思い込んでいたんです。そして一応年相応に元気だとふれ回っていたのですよ。ジリ貧の鉄分で自分の身体にムチ打っていたにもかかわらず。 全然健康ではなかった私の身体。過去帳(健康診断結果)を開いてみたならば、5年くらいの歳月をかけてじわじわとヘモグロビン値を下げていた模様。貧血はその数値がじわりじわりと下がっていくタイプだと耐性がついてしまい、下限値を下回ってもその状態でやりくりして、本人的には普通に過ごせてしまうらしいという事を風の噂で聞いた。私は身体のあちこちに症状が出ていたので多分普通に過ごせていたパターンとは違うのだろうけど、諸症状出ていても本人がそうじゃないと思い込んでしまえば何とかなった。しかもダルいなんて感じもなかったんですよ。 若いお嬢さん方は気分的にダルいわけではないかもしれないよ、もしかすると。30代後半の頭痛持ちのアナタは、頭痛のタネがストレスだとか気圧のせいとか思いこんでいませんか?鉄分の需要と供給のバランスが崩れて酸素不足になってるのかもしれませんよ。異食症になっても、口角炎が治らなくても、たまにフワッとしためまいが起きても、動悸がこようが息切れが起きようが、足の指がパリパリと割れて剝がれようが、踵がヘンにむずむずしようが、自分で自分を疑うような物忘れに襲われようが、9月くらいから手足がキンキンに冷えたとしても「

意表を突かれた「卵巣どうする?」(何かのおまじないかと思った)

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2020年3月 手術まであと1か月 いよいよだと思って 心臓バクバクさせている私に 子宮体がん検査がね・・ 変性筋腫がね・・と 言い始めた先生 先生、来月ですよ私の手術 ヘリコバクターピロリ菌を退治し、ヤングなメンズナースにおしりの穴を見られてしまう悲劇に見舞われ、リュープロレリン注射を使わずに貧血を克服して迎える事ができた今日。2019年10月の健康診断で「おっきいもーん!筋腫ー!」と言われて始まった50代の試練その壱的な子宮筋腫の手術。これが人生100年時代の折り返し地点になるのよ。やっとの思いでたどり着いた今日なのよ。人生後半のスタートラインをまたぐ足に、負荷をかけるのはやめて欲しいんですが先生。 「どっちにしても子宮は取るんだけど、 子宮体がんの結果 を” 判定不能 ”のままにして子宮を取ることがどうしても気になる」「いちばん大きな 子宮筋腫 は” 変性筋腫 ”だから、 摘出して病理検査に出してからシロクロ判定する 」と、手術が来月に迫っているタイミングで言われてしまいました。虹の柄の靴下をはいたホットペッパービューティー先生は「まあ判定不能ですけどどうせ取るので♡」と私の子宮体がん検査をふわふわっと扱ってくれた。それを「子宮を摘出するとはいえ判定不能の結果のままは気になる」と言い換えてきた執刀医。 子宮体がん検査の結果次第で術後のフォローアップは変わるし、変性筋腫が「稀に悪性」の大悪党だったら人生も変わる。「子宮筋腫は悪さをしない良性の腫瘍です」とあっちでもこっちでも言い散らかされていた情報が都市伝説化し、 手術後は輝かしい未来にしか続いていないはずの私の歩む道に、画びょうを ドバーーッと ばら撒かれた気がした 。 この時初めて「 MRI検査で白く写る筋腫は放っておけないタイプ 」という事を聞かされました。画像上に黒く写る子宮筋腫が「いわゆる悪さをしない良性の筋腫」だそうで、私の8センチ超の変性筋腫は柔らかくてブヨブヨして、そして白く写っているのだそう。 子宮筋腫の善悪の見極めをするには摘出して検査して結果を出す方法しかない そうなので、手術をする選択をしたアナタの判断は正解と言われました。 執刀医先生・・・・・最初に「私が担当しまーす」とあいさつをしてくれた虹の柄の靴下先生改め ホットペッパービューティー先生 は、「取ってもいいし取らなくてもいい。あなた

ギリギリで担当医がチェンジ@無許可(そんなものなのかしら)

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 2020年2月 術前検査前の定期検診(採血含む)に来たのですが、さてこの人は誰だろうか。虹の柄の靴下をはいた、まだ若干初々しさの残り香漂うホットペッパービューティー先生は何処いった?メガネをかけているのは同じだけど、明らかにホットペッパービューティー先生より年季の入ったオーラを纏って私の目の前に座っているアナタはどなた?? たぶん私の額に太字で書かれていたのでしょう。「で、誰??」と。私の目の前に佇んでいるその人は、自分が「怪しいものではない」と言わんばかりのハイスピードで自己紹介してきました。そして診察室ではなく予備室に招いた事についてはスルーした。 手術前に担当医師が変わるというハプニング。こんな事って日常茶飯事なのでしょうか・・。ヘリコバクターピロリ菌を飼っていた事も、メンズナースにおしりの穴を直に見られたことも、今日の日に比べれば若干些細な事に思えた。ホットペッパービューティー先生を全面的に崇拝していたわけではないが、人生初の手術を目前にして担当の先生がチェンジするとは一体どういうことなのでしょうか・・。 手術というやつ。てっきり外科の先生がやるもんだとばかり思っていたら、この高速で自己紹介をしてくれた先生が執刀するとの事。ホットペッパービューティー先生は、元々診察だけの担当だったみたいです。ホットペッパービューティー先生がいようがいまいが、私の執刀は最初から自分だったと告げてきました。心配しなくていいですよ。担当が変わっても何の問題もありません。だって最初からあなたの手術を担当するのは私なんですから。何か心配事はありますか?貧血は改善されてますけど体調に不安を感じている事はないですか?何でも言ってくださいね・・と、これまたペラペラペラペラーーーっと高速で気遣ってくれたので、その高速気遣いに乗っかって、変な動悸が出て日中気持ちが悪い事や寝る時ベッドを突き破りそうな鼓動で眠れなくて困っている事を告げてみました。 すると、これまたあっという間に「じゃあ心電図とりましょう!」と検査室へ放り込まれた。ホットペッパービューティー先生とは真逆のスピード感を持った先生の対応に慌てたけど、変な動悸が解明されるならそれでよし。 「手術前の精神的なドキドキかな」と思っていた部分もあり、もしそれだったら安定剤か睡眠導入剤で眠れればいいだけの話なんだけどなー・・と勝手に考えており

子宮筋腫の手術日決定(重厚感のない決まり方)

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2019年10月/健康診断で子宮筋腫が見つかる ⇒ 2019年11月/紹介状を握りしめて大きな病院へ ⇒ 2019年12月/MRI検査でより正確に子宮筋腫を知り他からの出血点探しその①(胃カメラ)⇒ 2020年1月/他からの出血点探しその②(大腸カメラ) ⇒ 鉄剤の効果を知るためのヘモグロビン値測定 あっちこっち寄り道しながら、ゴールたる子宮筋腫摘出手術へやっとこさ近づいた感じです。健康診断から3か月。私にとっては山あり谷あり。子宮筋腫以外の出血点を探すだけのはずがヘリコバクターピロリ菌に遭遇し、大学のサークルの先輩にいたら嬉しい若手俳優チックなメンズナースに便の色を確認されるという激震ものの事態に遭遇しながら迎えた今日。 7センチのはずだった子宮筋腫が8センチ超になった事は謎のままだけど、7.3まで下がってしまったヘモグロビン値は2020年1月時点で13.8に跳ね上がりましたよ!「これでいつ手術をしても大丈夫」と虹の柄の靴下先生から言われました。 よっしゃぁぁ! 2月でも3月でも4月でも私の好きなところで予定を立てていいよと言う虹の柄の靴下先生。手術の予定を書き込むノートを嬉しそうに取り出してきました。私は本日3分診察をしてもらい、また1か月分の鉄剤を処方されてとっとと帰る予定にしていたんですけど。リュープロレリン注射をされないように話を逸らす準備はしてきましたが、今日手術の予約を入れるだなんて予想だにしておりませんでした。 そんな患者のココロ医者知らずな感じで、虹の柄の靴下先生はキャピキャピしながらあーでもないこーでもないと、予約どうしましょうと喋りまくっていた。今から(1月)だと2月はちょっと急ぎ過ぎですかねー♪3月にします?♪4月はまだぜんぜん予約入ってないから好きな日に手術できますよぉ♪ 医療ドラマの見過ぎのためか、手術を重々しくイメージしている私と虹の柄の靴下先生との間に乖離が生じている。今決めなければならないのだろうか・・とりあえずこの時点では「手術をしようと思う」とか「手術するかもしれない場合があるかも」とか誰にも話していなかったので、手術の日程を決める判断は家に持ち帰りたのですが。私の手術や入院にかかわる家族のスケジュールを全く把握していないんですよ。自分だけの都合で決められないんです。両親のお世話とかワンちゃんのお世話とかあるんです。他との兼ね合