潰されていた膀胱の復活(開腹手術後2日目)

基本設定の牛乳(朝ごはん)を

ジョアに変更しておいてよかった

そう心底思った

術後から数えて2日目の朝



自覚はなかったけど、朝の熱は38度台。術後にありがちなのか、特に反応されることなく終わる検温。血圧は正常値の範囲。




病院食
ジョアさまさま



イチゴ味のジョアはこの日だけ。あとはずっとマスカット味のジョアばかり。マスカット味のジョアだと鉄分補給と葉酸補給をできるから、マスカット味のジョアを添えられるのがきっと正しい私の身体。ジョアで鉄分求める事はしなくてもいいんですけど・・と思った身勝手な考え。骨密度の事も考えなければいけない50代はイチゴ味のジョアも必要かと思われますが。



まだこの時点では、てんこ盛りにされた白米をメソメソしながら頂く事しかできず「味噌汁の中に白米をぶち込んで食べれば消費しやすいぞ」というナイスなアイデアは浮かんできていなかった。作ってもらってる立場なのに申し訳なかったけど「朝はパンとコーヒーがいいのになー・・・」と、てんこ盛りの白米を見つめながら自分勝手な考えで頭がいっぱいになっていた。



作ってもらっているのにグダグダ言って申し訳ないと思う気持ちがすっ飛ぶほどのしょっぱさ満載のオカズがまた目の前に。納豆でいい・・朝ごはんの献立はひねらなくていい・・焼き海苔でいい・・そう思いながらごちそうさました瞬間、除霊するかのごとくお茶一杯とジョアを一気飲みする。朝ごはんだけでもジョアがある幸せ。ジョアに変更していて本当によかった。



手術しても結構すぐ動けるもんだなーと思ってみたり、ご飯食べるのがこんなに大変な作業だったなんてーと思ってみたり、ぐちゃぐちゃしていた術後2日目の始まり。お箸持つにも体力と腹筋が必要なんだという事をこの手術で学ぶ。



インフルエンザで寝込んだ辛さなんか下の下。身体の真ん中で全身を支えている腹筋が使えない事、(麻酔して痛みを感じない状態で手術したとはいえ)それに身体を切られる&臓器を摘出されるという行為。3時間程度の手術であっても、その体力気力の消耗具合は恐ろしいものがある。必死で食べてバタンとベッドに倒れこんだ朝。そして朝からスポンと抜かれるもんだと思っていた尿管は午後からの作業に組み込まれていました。残念。



昼ごはん
個人的にふたをオープンできないオカズ登場



さあ、回復に向けてがんばるぜ!と思う心に鞭打つごはん。何もせずに、上げ膳据え膳で食事ができる環境でいられることへの感謝の気持ちは、そこら辺の山より高く谷より深い。時間が来たら「召し上がれ♡」「元気になれよ♡」と出てくるごはん。文句をつける気はサラサラございません。だけど魚好きな私が、魚を口に運ぶたびにどんどん肉派になっていく・・。



昼ごはんでイチバン美味しかったのはぶどうです・・・



コレ食べられたら尿管抜いてもらえるんだ・・・その希望を胸に頑張って食べる。気持ちの割には減らない白米。術後、両手の甲に刺さっていた点滴の針はすでに抜かれているのに、まだその感覚が残っていて上手い事お箸が使えないでいた。両手ともまだ少しむくんでる感じ。術後だからか点滴のせいなのか不明。動けはするけど、身体がなんとなくいう事を聞いてくれていない気がして気持ちが疲れる。



TVを観ながら食べたら楽しいかもー、TV観ながら食べたら気がまぎれるかもーと思ってみるも、世の中新型コロナの真っ最中で、きっと病院でそんなニュース観たらナーバスになるだけかと思い直して、また静かに白米と向き合う。というか、お腹を縦切りした直後で、のうのうと座ってTVみる余裕はなかった。ごはんを食べる事以外に使う体力と気力は、どんなに頑張っても出てこない。



身体とココロの手術疲れはまだ残っていたけど、硬膜外麻酔のおかげで傷口の部分については痛みを感じる事はあまりなかった。これで手術した部分がジクジクしたりキリキリしたりしてたらどん底だな。わりと身体の痛み(切り傷や打撲等)には強い方なので、もしかすると痛みに弱いタイプの人だとまだ撃沈中かもしれないタイミング。後々判明したのだけれど、私は先生がびっくりするくらいに硬膜外麻酔を使っていなかった。(入院費用に入ってるんだからバンバン打っていいのよと先生に名言を吐かせてしまった)



まだこの時点では、食後の歯磨きはベッドの上でおこなっていた。尿バッグと硬膜外麻酔を引きつれて遠出する気力もなし。なんせ昭和の老舗病院。洗面所は全フロアで共有なので、病棟の真ん中あたりに位置している。私の病室からは、はるか彼方の宇宙に匹敵するくらいに遠い位置にあった。「この部屋を出て右に曲がって次の角を左」くらいにずっと先。なので・・・なんていったかしら?グルグルぺーッとしたやつを受け止めてくれるアレ。(うがいキャッチというやつか?)それとうがいに使う水を持ってきてもらって、お姫様状態で歯磨きをしていた。もう何もかもが必死の術後2日目。看護師さん達の手厚い看護に支えてもらって生きていた。



そして念願でお待ちかねの尿管はずしタイム到来。看護担当ではなかったけれど、いちばんよく話しかけてきてくれていた看護師さんが来てくれたので、ちょっとだけ恥ずかしかった。しかし相手はプロフェッショナル。「さあ抜くぜ!」と使命感満載でやって来た。私も祖母の介護にかかわったので、家族のおしもの世話をしたことがある。それは家族だからできたわけで・・。この人達は私と違い、毎日毎日見知らぬ人達の具合が悪くなった身体を笑顔で看護している。頼もしい限りのナイチンゲール。でもこの処置は、あまり会話をしていない看護師を指名したかった・・・。



尿管については「装着している時って痛いのかしら・・」「尿管抜くとき痛かったらどうしよう・・」と多少不安感の残る処置であったため、入院前からドキドキしていたひとつだったけど、下半身から管がにゅーっと出ている時も、下半身から管がするーっと抜かれるタイミングも、なんてことはない無痛。わりと一瞬の出来事で処置終了。この管のお陰で「おしっこ」という生理現象を忘れていた。(当然の事ですが)尿意を催さないのでトイレの事を考える事もない。だから「私のトイレ」がはるか彼方にあるという事も忘れていた。



なのにテスト

膀胱がちゃんと機能しているかのテスト



自力で用を足さなければならないという本来の姿に戻された私は、はるか彼方に見える共同トイレで用を足し、それをキチキチと計測しなければならなくなった。1回の用足しで50ml以上出ないと「膀胱が正常に機能している」とは言えないらしいのだ。それを探るという。アバウトな感覚ではだめらしく、尿量を数値化する機械を紹介された。まだ体力が回復していないというのに。



この計量カップに尿を溜めて

この機械に投入したら

自動で量ってくれるから



そう言われて開始した人生初の尿量測定。これに溜めろと渡された計量カップは自宅のと同じ。某100均SHOPで購入したと思われるその計量カップを片手に24時間。用を足すときは必ず採取するようにと命じられた。(寝ぼけまなこの早朝時は忘れたけど)



ぺしゃんこじゃなくなった膀胱がオシッコを50ml以上排出できなかった場合、ナイチンゲールさんたちによる導尿の処置がおこなわれてしまう。もうヒーーーーッ!!と悲鳴を上げたかったが、声まだスカスカ(挿管のせいで)だから悲鳴も出ません。誰にも届かないこの気持ち・・。もうグッタリする体調でもなくなったから、おしもの世話はされたくない。声なき声で「頑張ります」と答えてベッドに崩れる。そんな私の悲しみに暮れる背中に「歩いてね、管取れたから」とさらなるプレッシャーを浴びせてきた。



ほんの少し前までやさしかったみなさんが、あれもこれもと強いてくる。



じゃあ両方のミッションをクリアできる「売店に水を買いに行く」をやってやろうじゃないかと、術後2日目の身体にムチ打って1Fの売店までヨタつきながらリハビリ。2Lの水と飲むヨーグルトと黒糖饅頭を抱えて戻る。「売店まで行ってきた」「水も2L買ってきてやる気満々です」と看護師さんに告げたら「えっ!?」と言われてしまった。術後2日目で行くところ(売店)と持っていい物(2Lのペットボトル)ではなかったらしい。


でも

1本550mlで91円(税抜)の水と

1本2Lで91円(税抜)の水があったら

アナタはどうしますか?

私は体調無視してでも

2Lで91円(税抜)の水を買います

そして歩かなければならないのなら

とりあえず美味い物がある所へ向かいたい




コンビニで2Lのペットボトルの水を購入したことがなかったので気付かなかったけど、なんでしょうかこのカラクリ感満載の販売価格。



とりあえず飲むヨーグルトと黒糖饅頭を片付けてから飲水開始。でも1回目のオシッコは80mlしかでなかった。それでも50ml以上出た♪と喜んでいたら「それではダメだ」と言われてしまう。80mlでは50ml以上出ているとはみなされないらしい。



「次もそれくらいだったら導尿よ」と先生から告げられ「ギリギリまで我慢して」と看護師からアドバイスを受ける。そこからもう死ぬ気で水がぶ飲みとギリギリ限界に挑戦。膀胱がつぶれていたお陰で頻尿体質だった私は、自然に訪れる尿意の他に「ここで行っておかないと次いつ行けるかわからない」という、恐怖感が生み出す意識でトイレに行く癖も持っていたので、ギリギリまで我慢する感じが精神的に辛かった。身体全体が破裂しそうだった。



お陰で次の排出量は387ml。(忘れられないこの数字)その後も多方面から大絶賛される量を排出したので、フワッとした膀胱に戻ってる!と称賛され、導尿も免れた。さすがにオシッコの出るところを看護師さんからチョイチョイってされるのは、いくらなんでも受け入れがたい。身体全体が破裂しそうになるまで頑張ってみてよかった。



晩ごはん
バクダンおにぎりならぬバクダン五目飯



水のみ過ぎてお腹がちゃぷちゃぷ。だけど今までの私とは違う。フワッとした膀胱に生まれ変わったので、お腹がちゃぷちゃぷでも膀胱は余裕。潰されていない膀胱の許容量は絶大。こんなにトイレに行きたいと思わない日がくるなんて。



尿管が抜けた事により、一気に身体が軽くなる。特に尿管を装着されていたからといって「動くと刺さってるところが痛いです」とか「気になって24時間眠れませんでした」なんてことはなかったけど、あるべきはずのない管が股の間からにゅーっと1本出ているだけでなんとなく調子が出なかった。尿管着脱体験で普通にいられることの素晴らしさ&有難さをポイント的に思い知らされる事になった人生後半のスタートライン。



この日の晩ごはん終わりから、洗面所まで歩いて歯磨きに。部屋に洗面台もトイレもないので、各部屋共同の洗面所まで歩きます。誰よりもヨタヨタしながら歩いていた私。この自分のヨタヨタ加減に「こんな私に輝かしい未来が来るのか?」と疑いながら、古びたステンレスの流し台にもたれ掛かって歯を磨いていた術後2日目の夜。



今となっては可愛らしい焦りですが、これから自分がどうなっていくのかの把握と見当がつかないやるせなさでナーバスになっており・・「まだ術後2日目なんだから焦るな」と必死で平常心を保とうと思ったけど、一瞬「手術する事を選んだのって間違いだったのかも・・」と思ってしまった。そのネガティブな気持ちはほんの一瞬でかき消えたけど、かなり深い闇だった。



この日は尿管がはずれた解放感でよく寝た。でも、佐藤健から海水浴場でイカ焼きを奢ってもらう夢を見た。なんで佐藤健だったのか。なんでイカ焼きだったのか。アロハシャツ着た佐藤健から爽やかにイカ焼きを渡された。夢の内容っていったいどうやって決まるんだろうか。尿管を外された私が行き着いた先の解放感イメージはアロハシャツとイカ焼き。



手術がもたらした想定外で難解な夢。


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