リニューアルした身体の始まりは濃厚塩味(開腹手術翌日)
2020年4月の晴れた朝
切って開いて縫い合わせて
あったものを取り除いて
健全な身体(仮)にリニューアル
【手術時間】
3時間(ほんとは2時間の予定)
【術式】
開腹による腹式子宮全摘術
【摘出物】
子宮筋腫・子宮・卵巣・卵管
【傷の長さ】
約15㎝(おへその横経由して一直線に縦切り)
【予期せぬ出来事】
膀胱のひどい癒着
貧血の原因だった子宮筋腫がなくなった。子宮も卵巣もなくなった。生殖器としての役割を果たすことなく取り去られた私の子宮と卵巣は、私がこの先いい調子&健康な身体でいられるようにと、自らを犠牲にして旅立ってくれた。術後で身体やら傷やらが痛んでなければ、身体の中から臓器や腫瘍がなくなっただなんて思えないくらい。
一番大きな子宮筋腫が膀胱を思いっきり圧迫(膀胱の上にドンと乗っかっていたらしい)していたらしく、なおかつ癒着がとんでもなく酷かったので、泌尿器科の先生が急遽呼び出しを食らう羽目になったと告げられた。「膀胱内視鏡も使ったのよ」と自慢げに言われてしまったけど、全身麻酔だったから知らないし。
もしかしたら泌尿器科の先生のおやつの時間は潰してしまったかも・・そこはちょっと気になってます。カップラーメンを作っていた最中だったらゴメンナサイ。
熱は余裕の38度。風邪やインフルエンザの類の熱ではないので、だるいとか辛いとかのキツさは感じない。切ったお腹や、強張った全身の痛みは十分すぎるくらい感じるけれど、無事に手術が終わって嬉しい気持ちが勝っていたので、気分的には少し爽快。だけどまだ身体のあちこちから線だの管だのがピヨーンと出ていて、どう動いていいのかわからない。視覚的にフリーズさせられているとでも言いましょうか。
それでも手術前の説明で「手術の翌日、自分で動けてトイレまで歩けるようならオシッコの管取れますよー♪」とか「術後の食事を半分以上食べる事が出来たら点滴すぐ外せますよー♪」の部分はしっかり記憶していたので、必死でベッドから起き上がってみた。いける。オシッコの管も点滴も外せると思う。自分的には、ベッドの縁に割と軽々座ることができたと思う。オシッコの管って、ものすごく気持ち悪い感触のするものだと思っていたけれど、挿管されている感じが全くない。
オシッコの管すごいわねーと感心していたら先生が来て「あら、起き上がれましたね。でもkeme.さん、オシッコの管は明日しか外せないから。今日一日そのままだから」と、私の頑張りと希望を秒殺してくれた。「だってあなたの膀胱ぺしゃんこだったから」と・・・。潰されて虐げられていた膀胱がちゃんと機能するか見極めてからでないと外せないという。至極真っ当な理由で叩きのめされた。頑張って起きたのにっっ!と言い返せない理由がそこにある。痛みや違和感がなくてよかった。それがせめてもの救い。
この時点で外れた線とか管とかは、右手の甲に刺されていた点滴と、血圧の自動測定器と心電図のみ。背中の硬膜外麻酔と左手の甲に刺された点滴とオシッコの管はそのまんま。朝が来たと喜んだのもつかの間。「オシッコの管外せないから」の一言でブルー。
でもまだ「半分以上ご飯を食べたら左手の甲に刺した点滴も外せますよ」の難なくクリアできそうなミッションがあるから、それに賭ければいいんだわ。違う部分でもひとつ管外せばちょっとは楽になるはず・・と、昼ご飯に思いを託す。
シチュー
煮びたし
大根おろし+シラス+りんご
お粥300g
ブルーベリーゼリー
私には結構なスパルタ献立。自分で作っていないものは信用できないシチューと、何の葉っぱで作ったかわからない煮びたしと、デザートにされるフルーツの中で好まない部類に入るブルーベリー味のゼリーと、口に入れることができないくらいに嫌いな大根おろしと、嫌いな食べ物のカテゴリに属するお粥300gを確認した瞬間にすべてが終わった。
手術後の記念すべきごはんがなんてこと・・・ほぼほぼ嫌いなもので構成されているメニュー。
点滴を抜くミッションもクリアできる気がしない。早々に元気になれる予感もしない。叫べるものなら叫びたい。なんか絶望の淵に立たされている・・・献立を確認した時点で「点滴は外れないし外すための努力もできない」自分がいる事に気が付いた。オシッコの管が抜けるならまだしも、左手の点滴ごときに頑張る必要はない。
それでも頑張ってシチューだけは完食しようと口をつけたら、衝撃の塩辛さ。にがりをダイレクトに口に含んだくらいの衝撃。味付けが間違ってるのか、3時間の手術で私の体質が変わってしまったのか・・・どっちだろう。シチューふた口とブルーベリーゼリーを食べたくらいではもちろん点滴は外れず、晩ごはんの摂取量で判断するという事になった。
「晩ごはんちゃんと食べないと外れませんよ、点滴」と、食べ残しを回収しに来た看護師さんにくぎを刺されて励まされて昼ごはん終了。
その後「大部屋に戻るぜ」と言われて部屋を移動。あー、ごはんろくに食べられなかったけど大部屋には戻るんだー。しぶしぶ術後回復室を後にして4人部屋に戻りましたが、とりあえずひとり。VIP待遇でしばらく優雅に痛みと闘うことができました。(しばらくしたら1人入院してきた)めいっぱい疲れているのでとにかく眠る。晩のごはんがやってきましたよの合図で目が覚めるまで寝ていた。
食事が格闘技化に・・ |
そしてまたすべてが塩辛い・・・
この献立内容ならいける!!と、必死に食べた。でもやっぱりすさまじく塩辛かったので口の中がヒリヒリ。私の味覚がおかしいのか?病院お抱えの栄養士さんが正しくないのか?もーよくわからない。この調子が退院までずーっと続いたらテンション下がるなー・・と、まだ入院したばっかりなのに若干悲しみに暮れてしまった。手術したのは昨日で、まだ入院生活は始まったばかりのタイミングなのに。よそ様の子宮筋腫入院ブログのごはんは楽しそうだったのに。
晩ごはんは白米を半分だけ残してのごちそうさま。頑張ったおかげで、就寝前に褒められながら点滴を抜いてもらう。点滴ひとつなくなっただけで、この絶大な解放感。だけどこの日の夜、いきなりドカンドカンと襲い掛かってくる痛みで眠れなかった。点滴外れた極楽はとっととどっかに消えて行った。
硬膜外麻酔の効き目が1.5時間程度しかもたず、麻酔が切れると痛みが塊になっていきなりドカンとお腹に落ちてきた。アスリートが腹筋にバスケットボールを打ち付けて鍛えているイメージ。アスリートでもない私のお腹に、マッチョなトレーナーがバスケットボールを叩きつけてくれるそんな感じ。
麻酔 → とりあえず1.5時間寝る → バスケットボールが落ちてくる → また麻酔 → また1.5時間・・・を一晩中繰り返す。いちいち時間を確認しなくてもよいのだろうけど、なぜか「こんどこそは1.5時間以上寝てるはず!!」みたいな変なチャレンジ精神が湧いて出てしまい、毎回時間を確認した。そして毎回撃沈していたのだけれど・・。
そんな痛みと闘いながら一夜を過ごしたおかげで、ウォーキング・デッドの夢を見る事が出来た。念願の、そう念願の。入院する前に脳みそに焼きつけてきたウォーキング・デッドの世界。残念ながらバスケットボールの痛みと恐怖はウォーカーしか夢の中に連れてこず、私の愛してやまないダリル・ディクソンは一度も出てこなかった。まあ、これが現実ってやつだ。疲労困憊で朝を迎えました。
硬膜外麻酔のボタンを押しまくったのはこの日だけ。夜中が辛かったのもこの時だけ。
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