順調な腸の具合とうまく眠れなかった術後4日目

入院生活4日目の話。ようやく半分消化。(入院生活を)すごく長い時間を過ごしたと感じていた日々だったけど、実際には9日間。病院にいる間の1日の具合といったらまあダラダラと長く感じて。そんなダラダラ感に浸っていてもテレビも読書も手を出す気になれず、ただただベッドに転がっていただけの毎日。音楽を聴く気にもなれなかったな。今思い出そうとしても記憶が見当たらない・・いったい私は毎日何して過ごしていたのだろう。




病院食
パンが食べたくて仕方なかった朝




私が入院する前から決定していた献立と思うけど、ピンポイントで私の腸のぜん動運動を手助けしたいと願う気持ちが溢れているオカズのおくら。でもなんだかザックリしてきた朝ごはん。(私見です)



色んな事から解放された私の身体は、ご飯食べてる最中から腸がグルグルと動き出し、まだご馳走さまする気ないのにトイレに駆け込みたい思いで頭がいっぱいになる。それは良い事なんだけど「食事の最中にトイレに行く行為はお行儀が悪いのよ」と釘を刺されながら育ってしまったので、誰と食事しているわけでもないのに「ちょっと失礼」とトイレにダッシュできない私がここにいる。なのでウワーッと食べてから向かいました。



縦にピーッと一直線に入った傷により、私の腹部から姿を消した筋力の具合と、明朗快活な腸とのバランスがマッチしないためにもがき苦しむトイレ時間。それでも薬の力を借りずになんとか用足しできるのは素晴らしい事。でも「出たいと願っている物体が出せない苦しみ」は、そんじょそこらの便秘より数段辛かった。



排出されたいとお腹の中で暴れまくっている輩って厄介・・。



お腹の中で暴れまくっている輩で傷が裂けたらどうしよう・・と看護師さんに不安を吐露したら「そんな事では裂けないから」と冷静かつ冷めた口調で答えられた。あわせて抜糸はいつになるんですか?と尋ねたら「溶ける糸で縫ってあるから抜糸はしないですよ。ふふふ♡」と、医療機器の進歩についていけてない50代に優しく説明してくれた。表面の傷口も溶ける糸で縫合しているらしい。昔々足に怪我をして数針縫い、その抜糸の時の何ともいえない感触を覚えており(小学生の時の怪我なのに)「あの糸を抜く際にゾワワワァとなる感じをもう一度味わえるんだわぁ♡」とマゾヒズム炸裂しながら、勝手に抜糸の日を待ち望んでいたのに・・・。ないんですって。残念。




昼ごはん
写真右上が根菜です




根菜のオカズでまた腸が明朗快活になる昼。お陰でお昼ごはんの最中も、朝と同じく食べ始めたら輩が腸の中で跳ね回りだした。困ったもんです。もう50歳からはお行儀悪くいくしかない!と箸を置いてVIP用のトイレに駆け込む。まだそんなにキビキビと動けるわけじゃないので、靴履いてトイレ行って腹帯外して・・・の動作がすこぶる辛い。このタイミングでは、まだゴール見えてなかったなあ。悪いもの取ったら幸せになるんだわ・・とずいぶんと先に目線が飛んでしまい、足元に転がっていた「ちょっとだけ続く悪夢」に気付いていなかったもんなあ。



お昼ごはんが済んでしばらく経つと、空いていたベッドに新入り患者さん登場。カーテン越しに聞く声の感じだと30代くらいなのかなぁ。カーテンの仕切りは新型コロナのせいもあって、基本開けっ放しでいる事は控えて欲しいと申し渡されていた。なので、いちいち「今日から入院の〇〇サンでーす」みたいな顔合わせもなし。声のみでそのイメージを感じ取る。カーテンを閉め切っての生活は強制じゃないので、息苦しさを感じる場合は開けてていいですよーと言われていたけど開けないわよ。静かでいい。



午後からお風呂の時間を確保できた。昨日の硬膜外麻酔をとったお陰で見舞われた、超絶な筋肉痛により1日延びた入浴。手術前に「所要時間15分でお願いします」と伝えられたシャワータイムは、手術後であっても持ち時間15分。それでも人間やればできるもんです。手術前同様、15分でシャワーをザバザバと浴びて出てきた。(隅から隅まで清潔になったかは怪しげですが)たとえ15分間のシャワータイムであっても「お風呂に入る」という事は気持ちも洗われます。気持ちいいと思う感覚が身体を軽くさせ、少しずつ(ミリ単位だったけど)元気になっていくのがわかりだしてきた術後4日目の午後。



全力で挑んだシャワーで力尽きてウトウトしていたら、新入り30代が「婦人科の病気について」の話を看護師さんとしていた。なんで自分が婦人科系の病気になったのかを憂いていた。何の疾患かわからないけど「何故(その病気に)罹ったのか信じられない・・・」というような言い回しで、切々と訴えていた。看護師さんは「多いんですよ。決して少なくはないんですよ、婦人科の病気」と新入りさんに言っていた。「でも大丈夫ですよ。ちゃんと手術すれば良くなりますよ。不安なことは何でも言ってください」と励まされていた。



わかる。私もあなたと一緒。「何故子宮筋腫が自分に出来たのかわからないし信じられない」と思っておりました。「自分の人生でかかるであろう病気リスト」に子宮筋腫を入れてませんでした。あなたが子宮筋腫かどうかは不明ですが、わかりますよその気持ち。子宮筋腫の事を子宮筋腫ができてから情報収集しだし、術後、記憶をなくさないようにボソボソとブログに書き残している作業をしている今でも、まだ「何故子宮筋腫が自分に出来たのかわからないし信じられない」と思っていますから。



どんな病気も、自分の意思で「かかる・かからない」は決められない。でも自分の家族や親せきにその病気にかかった人達が見当たず「ご先祖様には長生きしたのがゴロゴロいる」と知ったらば、なんとなく自分も大病することなく元気ぴんぴんで過ごせそうな気がするし、「父方も母方も癌家系」みたいな状況下であれば、若い頃から他の人より癌に対しての意識と知識は持っているだろう。私の家系は両者揃っているけど、手術を経験したこの先は、DNAや家系というものに縛られたり縛りつけたりする事なく健康管理と体調に聞き耳立てて暮らす事にしようと、病室のカーテンに隠れて密かにそう思う。



メソメソしなさい。ここのナイチンゲールちゃんたちは最高よ。思う存分頼りなさい・・と、カーテンの奥から念を送ってみた。何でも「ドンとこい」的に受け止めてくれる人達がいるんだから。直近で家族の入院が別の病院で執り行われ「大丈夫?ここの看護師さん達・・」と脳裏に焼き付いていたので特にそう思うのかしら。いやいや、何かと比べなくてもこの病棟の看護師さん達はみんな素敵だった。



そう・・・看護師さん達はね

手厚い看護は受けたけど

同室の人に恵まれなかった・・

わかるその気持ちー

メソメソしていいのよーと同調し

同室の30代と思われる

その人に情けをかけられたのは

晩ごはんまでだった・・・



晩ごはん
根菜攻めな本日



どんどんと味覚がマヒしていく感じがしてウケた。塩辛さって、あっという間に慣れるものなのだなと感心した。退院してから気をつけないといけないな。この日の晩ごはんから、テレビ鑑賞しながら食事を摂る。ああそうだった。家でもこの番組を観ながら食事してたっけと思い出した途端、帰りたくなった。



晩ごはんの最中、気配を消して食事していた新入り30代。そこで気配が消せるなら、夜中もずっと静かに消していて欲しかったその存在感・・。私もちょっと元気になってきたもんだから、疲れ気味の気持ちと体力がすこーし復活してきだしたもんだから、眠りがね・・浅くなりかけてきてるみたいでね・・・。



だからおばちゃんは、あなたのその大きな寝息で眠れませんでした。いいよメソメソしてもと思った気持ちを返してほしいと思いました。



規格外の音量に眠るタイミングを見失い、つかの間の静寂にウトウトしだした私の耳に飛び込んでくる破壊力抜群のその寝息は、飼っているワンちゃんと一緒に濁流にのまれ流されるという夢を見せてくれた。濁流の夢を見せてくれたのは寝息で、決していびきではなかった。物凄いバキューム力で息を吸い込み、確認できてないけどきっと口呼吸よねと思わせるくらいの排出量で息を吐いてくれる。それは別にいい。人それぞれだから。



だけど翌朝、看護師さんに「よく眠れましたか?」問いかけられ「んー・・・ちょっと無理でしたねー・・環境が変わるとちょっと・・・・」と答えていたあなたに突っ込みを入れたかった。俄然寝ていたぞ。無理だったのは私のほうだ。



手術前日のじゃがりこ彼女も手ごわかったけど、新入り30代もパワフル。同じ部屋になり「袖振り合うも多生の縁」になったみなさんの個性ははじけ飛んでる。





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