入院生活5日目の午後は抱腹絶倒を少し

手術して5日が経過した朝。新入り30代は手術へ向かった。「今日はkeme.さんひとりですよー♪」と新米ナースが教えてくれた。入院前日の確認電話で「延期してもいいですよ、新型コロナが心配であれば。実際それが理由で延期してる人もいます」と言っていた。入院当日、病棟の設備やトイレの場所などを案内してくれた看護師さんは「満床の時のほうが多いんですけどね、ホントは・・」と小さな声で教えてくれた。新型コロナの影響で・・・というダイレクトな言い方は、多分不安を煽る事だと考えて声のトーンだったり空気感だったりで伝えてくれたと思うのだけど、医療事務の人はダイレクトに言いましたよ。新型コロナを理由に入院延期した人がいるという事を・・。



不要不急というワードが報道媒体で連呼されていたタイミングで手術をする事。私の子宮筋腫は不要不急の手術じゃないのか?と、少しだけためらった。それと、未知の領域新型コロナの恐怖下で「たった9日間といえども入院&手術をするなんてどうよ?」とビビってもいた。ただ先が予測できないタイミングだったので、病院サイドが「頑張ります!」と受けてくれるのなら、このまま予定通りに決行したほうが良いなと腹をくくり、感染症指定医療機関だった老舗病院へ飛び込んだ。



延期しなくてよかったとしみじみ思う2020年12月。




病院食
朝から鶏肉は辛い



入院する前にたくさんの子宮筋腫センパイ方のブログを読み漁った。私が目にしたブログには結構な確率で「病院のごはんが美味しくて♡」と書かれてあったので、同じ病院に入院するわけではないと承知していても「病院のごはんが美味しいなら♡」と、入院生活に若干期待していた。「腹を切って動けなくなったらきっと楽しみはご飯しかないよね!」とウキウキし、「頑張って食べて体力つけなきゃ!」と張り切って完食する意気込みで取り組むはずだった三度の飯が、なぜだか子宮筋腫センパイ方のブログと違い、高野山の修行レベルに近い感じがしてならなかった。



入院は温泉旅行でも観光旅行でもない。食事に関しては栄養価とカロリー重視で作られている。思い出作りのための食事じゃない。栄養と体力をつけて病んだ身体を立て直すためのもので、好きなものだけを食べればいいというものでもない。自分都合でパン食べたいとか思ってはダメ。そんなにパンを食べたければ、退院してから美味しいと評判の隣町のパン屋さんに行けばいい。更に元気になったら、奮発してスーパーで普段手に取らない黒毛和牛を購入すればいいだけの話。



でも

朝 → ごはん・納豆・味噌汁

昼 → ごはん・野菜炒め・味噌汁

晩 → ごはん・肉じゃが・味噌汁

くらいの肩ひじ張らない献立具合で

入院生活を送らせてほしかったと

調理室にお伝えしたい気持ちが否めない

それは今になっても消えない思い



元気な感じっぽくなっているとはいえ、まだ手術直後と表現できる術後5日目。術後2日目と比べれば格段に動けて気持ちに余裕も出てきてるんだけど、うっすらとした微熱と鈍い痛みは続いてる。それでも退院というゴールが見えてきだしたら、たちまち放置プレイが始まりだす。こまめな検温も看護師さんの巡回も、さりげなく回数が減ってきた。



医学的なところで判断すると手厚い看護枠外かもしれないけど、お腹を切って身体の中から色んなものを摘出してまだ横になっている時間が多い患者(私)なんですよ。ごはんが済んだら横になり、歯磨きが終わったら横になり、リハビリもどきに廊下をヨタヨタ歩いたら横になり。結構な横になり加減の状態だったけど、キメの細かい「大丈夫ですか?どうですか?」のなめらかな肌触りの言葉が私の周辺から消え去り始めた。まさかこんな悲しみで自分の順調加減を実感するなんて思いもしなかった。



まだ横になりたい気持ちが占めている身体はさておき、脳みそは随分と痛みに集中する事から解放されてきた。そうなるとごはんとごはんの間がヒマ。気持ちの時間を持て余す。だけどTVをつける気分にはならないので、ぼさーっとベッドの上で時間をつぶす。やっぱり退屈。なのでリハビリに見せかけた散歩に出かけることにした。



時間つぶしとヒマつぶしの域を超えない程度のリハビリウォーク。機能回復のお手伝いにもならないやつ。ためしに歩数をカウントしてみたところ、1回のヒマつぶしにつき200歩程度の歩行。これを1日3回。プラストイレに行く分を合わせても、1000歩までは到底及ばない。だめじゃぁぁん!!と思っても、これ以上のアクションは起こしたくないのね。退院したら家で頑張ろうと誓ったけど、家に帰ったらもっと歩かなかったダメ人間だった。



明日やろうはバカ野郎っていう言葉

どこのどなたが言ったんでしょうね

とても素敵な名言です




昼ごはん
お麩とぶどうが美味しかった昼




私が入院した病院では、新型コロナについての注意喚起のため、面会者についてのルールと入院患者に向けての衛生管理協力のお願いアナウンスを定期的に館内放送していた。プラス2時間ごとの部屋の換気も。24時間、病室のドアも開けっ放し。春だったから何とも思っていなかったけど、真冬でも病室のドアは開けっ放しにするのだろうか。新型コロナの事を考えたら、密閉な密室にならないようにきっと開けているのがいいんだと思うけど、何だか寒そう。そして今もまだ注意喚起の放送をおこなっているのだろうか・・毎回毎回ライブ配信で。



①選ばれしお見舞い人に向けての放送

②窓とカーテンを開ける時間のお知らせ

③患者様に向けての衛生管理願い



上記3つを定期的に放送していた。手術前は隅々まで意識が及ばす、手術直後は痛みと闘っていたので、院内放送はざっくりと耳を傾けていただけで最初から最後までちゃんと聞いたことがなかった。「ああカーテン開ける時間だ」くらいしか反応していなかった。なのに本日は聞いてしまった。放送を告げるチャイムからすべて。



「・・・院内感染防止のための手指食堂・・手指・食堂・・・・・しゅぅ・し・・・・しょくどうっ!・・しゅぅししょぉうどくぅぅ・・・・をお願いします・・」と、"手指食堂"をなんとか"手指消毒"と訂正して言い放った放送担当。えげつなかった。



声の質感的にDr.スランプ アラレちゃんで育った世代の人あたりとお察ししました。きっと私と話をしたならば、好きなTV番組も読んでいたまんが本も多少の前後はあるものの、きっと「それそれー♡」と一緒に盛り上がれそうな感じがするアナタ。いいですか?私はおへその下を15㎝ほど切って縫い合わせている患者です。



腹切りしてまだ思うように動けず、咳ばらいをするにも命がけな鎮痛剤服用中の入院患者にはかなりのハードパンチな手指食堂。笑いたくても笑えない。もーツボにはまるだけはまってしまった。一生懸命我慢したけど、思い出し笑い体質な私は大爆笑したい感がなかなか抜けなくて死ぬかと思った。閉ざされたカーテンの中で止まらない涙で顔面がグチャグチャになった。もちろん笑い泣きで。腹を切っているにもかかわらず、消えては甦った「手指食堂」の波。夕方まで退屈しなかった。辛かったけど。



医療従事者ならば、そこそこ使うであろう「手指消毒」という言葉。まさか放送台本で言わなきゃいけなくなるとはねぇ。たぶん担当したのは医療事務員さんかな。やってしまいましたね。この日何人の患者が「ひぃぃぃぃぃぃぃっっ!」となったことだろう。



でも放送時間が決まっていて、なおかつ定型文で放送するのに、なぜライブ配信するのだろうか。練習に練習を重ねたパーフェクト状態の録音音源を流せばいいのに・・。もしかすると昭和の老舗病院の放送設備には録音機能やタイマー機能がなかったかな?




晩ごはん
シンプルにハンバーグでよかったんだけど・・



昼までは電源ONにするのも乗り気じゃなかったTVをつけて食事してみた。この気持ちの変化、手指食堂効果かしら。(違います)違う日につけたTVでは一瞬ホームシックになってしまったけど、この日のTVの画面の明るさは、なんとなくいつもの自分や時間が戻って来たみたいで少しホッとした記憶がある。こういう感じも回復していることの表れひとつ、かな。



この夜、自分の他に患者がいないという解放感と静寂感で初めて穏やかに眠れた。看護師さんの巡回もどこかの部屋のナースコールにも気づかず、誰の気配も気にせずにぐっすり。おかげで朝の4時半に起きたけど。



viva入院生活


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